本日、9月20日で、
ずっと一緒に仕事したKO-JIが退社します。
14年くらい一緒の会社で、いるのが当たり前だった男。
あれは確かまだ服屋さんのうちしかなかった時に、
SAITO-さんが「先々のためにご飯屋さんやるわ」、
「え゙?誰かいましたっけ?っていうか服屋さんどーすんすかw」
と自分が言った時に、
「KO-JIとSARUがいるから大丈夫」、
と集まった最初のメンバーの一人。
言葉にするとややこしいのですが、
MASATOさんがラーメン屋さんになっちゃったので、
KO-JIだけになってたあの時の同じ方向を見た仲間。
当時、家に集まり、
試作でスモークしたチーズを味見して、
結局、酒に明け暮れたという記憶がまだ昨日の様。
寂しくなるな。
あんときの二人がいなくなっちゃった。
MASATOさんが辞める時とか、大きなことがあった時、
KO-JIと真面目に沢山話した事、
思い返すだけでそれは長い歴史。
少し話がそれますが、
当時からなぜか一人でお店を始めるってのは苦手。
うちの県は経営者、社長が日本一多い県と言われています。
その理由はちゃんとあって、何でもかんでもそれがゴールとする、
という社会の流れがそこにありました。
めんどくさい自分は、会社じゃないから社長じゃないじゃん。とか、
経費使いたいだけでよくもまあそこまでやるな、
経費とリスクが全く合っていない。とか。
辛い思いをして良い顔するって本当大変だろうな。
等、辛らつな言葉を胸に置いていました。
「なぜ自分でやらないの?」という声が多すぎるからでもあります。
言ってもらえるだけ嬉しい話ですが。
そういう話は我が身のを置く場所の事、
真剣に向き合ったうえでのことだったので、
ちゃんと言葉にしてみるのも大事かなと。
150年続く、家業にも触れ、
父親から口すっぱく経営する事をチクチク言われていたので、
細かい自分は早い段階から最低限は理解していたつもりです。
すぐに独立を疑問視する一番の理由、それは、
一部を除き、大半が小さく失敗するからです。
大きな失敗なら経験にもなるのですが、
小さな失敗は勝負してるとすら思ってません。
そんなので飛び出したのか、という言葉で括れます。
嘘をついて誤魔化す経営者とかと、
誰が一緒に行動したいと思うのか。
それって経営なの?借金まみれを嘘ついてるだけじゃん。
などなど、若い時は尖りすぎておかしくなってた自分。
今思うとなんて偏ってるのだろうと、思いますが、
若気の至りだったのだと思います。
とはいえ、
変わらないところもありまして、
その時からずっと変わらず思ってる事。
それは、環境が悪いなら良くすればいい。
変えれないなら壊してまた作ればいい。
そういう能力を自分が持てば困らない。
出来ない事を選択するのではなく、
出来る事をやらない選択をする。が思ってる事一つ目。
それともう一つ、
能力ある人間が集まった時、
一体どのくらいの事ができるのか?
それが会社に身を置く時に決めたテーマでした。
だから自分は、「皆で楽しく」金儲け、というテーマを、
最初、商店から会社にする時に掲げたことを覚えています。
ストレスは極力少なく、そして仕事は楽しく。
朝起きて、出社するのが楽しみな会社を作りたい。
そんな子供のように単純な話です。
話は変な方向に行きましたが、
そんな自分と共に、ちょうど今の会社になった時に、
一緒に始めたのがKO-JI。って話に戻ります。
いっしょにやろーぜ、みたいな。
ダメでもダメでやってみよう、
きっと経験になる。って会社4人が一蓮托生。
懐かしい。
もう飲食も初めて15年も経つのか…
最初本当大変だったよね。
いっぱい喧嘩もあったし(今もか)。
分からない世界を読めない地図持って徘徊してる毎日でした。
あ、短くまとめようと思ったのに長くなってすみません、
長くなりすぎるのはよくないので、まとめますと、
KO-JIがいなかったら今のうちの会社はないと思います。
それくらいにイカツかったし、
(方向がずれてても)まっすぐだったし、
何より、大変な時に支えてくれた仲間がいっぱいいた。
あの最初の日々を乗り越えれたのは、
KO-JIとMASATOさんだったからだと確信しています。
(自分がいう言葉ではなくSAITO-さんのセリフでしょうが、)
感謝しています。
きっとこれからもまた話すことも多いでしょう。
終わりではなく始まり。
なにするの?って会社の旬ぼんたの運営を委託する形ですので、
まあ近くにいますw
なので大げさじゃないのですが、なんか寂しいんです。
なんかね。
こう、なんだろ、方向が変わってしまう怖さを向き合うというか。
車で言えばタイヤがパンクするような。
頑張れば走れるけど走行が怖いみたいな。
それを修復するピットインにいる自分だから、なんか寂しい。
って感じですかね。
そんなに変わらないでほしい、という未来を考える自分もいれば、
大きく変わってほしい、大事さを今から分かるはずだ、と想像もする。
人は人の事になると理屈じゃないみたいです。
気持ちとか欲とか、情とか、愛とかってのは時に、
生産性とは離てしまいますが、
自分の大事な部分の「楽しい」の生産は心でしかできません。
なので心に正直に。
気は心で。
上記の独立について、ですが、当時から今では歳も重ね、
また違う考え方の自分もいます。随分変わったと感じます。
当時、なぜそんなに皆で行動したいと思ってたのか、
それは、「遠くまで行きたかったから」でした。
一人旅は気楽なもの、小さな荷物ですぐに出発すればいい。
皆で旅をすれば、それは大変なもの、
出発には時間がかかるけどずっとずっと遠くに行けるでしょう。
って思ってた言葉の上での行動でした。
そしていま皆で旅をして思えば遠くに来ました。
見える世界も随分変わりました。
世界は広がり、見聞を深め、今見える世界は昔とは自分違うもの。
遠く旅をしたからこそ、
そろそろ自分の道を見つけて、新しい船出へ。
この感覚はとても大切だと思います。
その場所まで来たからこそ言えるセリフも、
見える世界も、そして伝えれる未来もあります。
なので、今回のKO-JIの独立は広い世界からの、
さらなる旅路への出発。
心からおめでとう。
MASATOさんを日本一のラーメン屋さんにするために、
力を惜しまないと決めて、めん屋さるを毎日真剣に応援。
そしてこれからKO-JIも上手くいくように真剣に取り組みます。
って事で(無い思うけど)困ったことがあったら、
何でも言ってね。
応援しています。
頑張って、なんて月並みな言葉じゃ物足りないので、
人生、楽しむために楽をせず。
人生、楽をするために楽しもう。
長くなってしまいました。
上記の内容を送別会の挨拶で用意していたのですが、
冒頭三行で涙があふれたので伝えれませんでした。
派手に泣いてしまいました(また)。
ちゃんと言えなかった雑魚です。
そんなつもり全くなかったのに…年々弱くなる。
これから毎回泣く人、見たいな位置づけになるのが嫌なので、
感情を無くす訓練をします。
そういうのももう何回目かな。
そういう薬でもないものか。
そんな一昨日。
9/18(火)。
ゆっくり寝てしまった朝。
ちょっと体力復活したかなって思ったのですが、
どーも体調は良くない。
なんだこれ。
子上がりで子供と遊び。
ご飯食べに行って。
大盛無料って書いてあるのに無料じゃないことにイラリ(2回目)。
アイス食べて。
トマトソースがパンチありました。
そしてまさかの17:30から送別会開始。
立地のすごさとか。
食べることが目的ではないかもしれない、って現実。
んで二軒目。
おじさんたちの悪ノリ。
お腹の具合がすこぶるわるくて、
なおかつ異常な眠気でした。困った。
お店からの粋な計らい。
優しいね。
これ一生懸命作ってるの見えてました。
そしてあんまり飲めずで3軒目。
駅前の串カツ田中へ。
いつものが始まり、
北斗三兄弟のバトルボーナスを聞いてました。
んであっという間に夜も更け。
思ったより早く終了。
どこかへ行こうと思うも、
どこもやってない火曜日でした。
思わぬ不便さ、仕方なし。
そんな火曜日でしたとさ。
そんなこんなで。
それではこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日は木曜日。
頑張ります。更新。。。