おはようございます。
このブログで「ラーメン」って何回言ったのでしょう。
自分はラーメンが好きです。
変わっている自分には好きに隔たりがありません。
なので仕事だから遊びだからの隔たりもなく、
そこあるのは好きか興味がないか、のみ。
なんでもすぐに没頭する変な人です。
気をつけないと全部そこにぶち込みます。
突然ですがラーメンの話がしたくなりました。

「麺は男、スープは女」。
いきなりですがラーメンと自分の記録。
題してラーメン鉄学。
あれは小学生の時だと思います。
「美味しんぼ」って漫画がありました。
漫画が好きなのは藤子不二雄先生と同郷が理由。
手塚治虫先生が最初に好きになった漫画家です。
ドラえもんからまんが道を読み漁り、
色んな広がりを見せてなぜか美味しんぼ。
その美味しんぼの中(29巻)で、
「ラーメンはこう食べるんだ!」って内容があって、

これに痛く感銘を受けてしまい、

なんだよ、ルールがあるけど結局自由なのか、
最高だな。
って思ってからラーメンが好きになりました。
それからは意地でもラーメン時にはご飯を頼んで、
食育で米について真面目に学んびました。
ラーメンから米を好きになった、
と言っても過言ではありません。
原体験ってやつですね。
そんな経緯でラーメンが好きになりました。
子供の時はいつかラーメン屋さんをやろう、
名前は「Qちゃんラーメン」だ。
ど、30年前にちゃん系に目をつけていました。
というのは冗談ですが、
あまりにも気になってアルバイトもしてみました。
アパレルやりながらどうしても気になって。
たまたまではありますがそんな甘くない、と学び。
自由かそうではないか、お店によって違う、様々。
全部が美味しんぼではない。
経験は出来た。
好きと食べると関わると仕えると全部違う。
仕事、志事、私事でいえば私事が楽しい。
毎年どれだけ食べてるか分かりませんが、
記録をみてる限りは一番食べてる時でも、
年間500杯程度でそんなに食べてません。

いつかの記録。
よく年間何杯、とかの表現ありますが、
真偽が分からない言いたい放題感が見栄みたい好き。
かたいこと言わない、って日本の抽象、ゆるふわ。
そんな食べてる中でこれも上記影響で、
どうもラーメンは醤油が好きらしい。
醤油担当。
「担当」という言葉で一極集中。
他のは他の担当に任せて教えてもらう、そんな姿勢。
なぜかラーメンってどこそこ食べたとかで、
偉ぶるカルチャーがあると思っていますが、
田舎の自分はそういうのどうでもよく、
空の高さだけは知りたい、とその一心。
あの時に美味しんぼに会いに行く、だけ。
ここにいたるまでには、
取り合えず知るために全部行ってみる。

10年以上ぶりに武蔵に行ってきました。
食は過去に自分に触れれる気がします。
なんでも食べてたところから担当は醤油に。
醤油から派生して煮干しが好きになり、
美味しさは経験値、積むしかない、食べるしかない。
出張に行く度にとにかく食べる。
新しいところへ、しかもどこまででも。
ラーメンデータベース、都内TOP50を食べ終えた頃、
TRYこと「Tokyo Ramen of the Year」と出会う。

そんなWEBや雑誌、クローズドな情報が開示され、
Googleマップでさらにどこでも行ける様に。
この自由度の広がりが自分には大きかったです。
少し前後しますが、
この頃、会社で山頭火が開始。

ただでさえよく食べてた山頭火のしお。
女性が紅をさす様に小梅がスープを彩る。
そんなビジュアルに惚れたのもありました。
これもそもそもは食べ歩きからで、
あれよあれよと始まって、
ラーメン好きすぎて手伝っていました。
メニューも全部作って、
マーケットをみるのが好きで、
検証をとにかくやっていたのは忘れません。
思えばいつもラーメンの話しをして、
いつもラーメン食べてました。
手伝い始めはつけ麺がまだ近くで食べる文化がなく、
選択をしてもらう、次回食べたいと目に言う、
ストーリーをちゃんと理解する、みたいな。
文字にするとあんまりラーメン屋さんぽくないですね。

今でも食べに行く理由は初心忘れべからず。
ちょっと書き出すと長いですね、これ。
とは言えずっとラーメンばかり食べて来て、
改めて様々な美味しいに触れた結果、
おそらく煮干しの後、それこそ、

イチカワさんで衝撃をうけ、

和え玉とは、にも学び。

伊吹さんの衝撃も忘れません。
これが2010年くらい、15年前か…
煮干しとは、ってのを探していました。
この辺りからラーメンは味の前の世界がある、
作り方、大変さ、目利きなど方向性が変わった。
なぜラーメンを作るのか、という根本思考に。
そし自分がラーメンが好きすぎた結果、
友人のMASATOさんが、
「そんなに好きならラーメン屋やる」。
という衝撃の展開へ。
ただでさえSURPRISEで皆を巻き込みまくってるのに、
ついにラーメンでこんな事が起きてしまうのか。
怖くなりました。
が、やると決めたなら力になるしかない。
これをきっかけにより学ぶしかない。
ラーメンを求めて東京に一緒に行ったり、
実践しかない、とにかく作るしかない。
で、TERUさんのHANDで働きながらラーメン作り。
そんな学び舎を経て修行後、2016年オープン。

めん屋さる。
BGMはイエローモンキーしか流れない。
当時とみ田さんに代表する曲の徹底。

器は多加野さんよろしくの蛸唐草しかない。

やるなら煮干しっしょ。
とかなんでも伝えていました。
いつの間にか人が集まるお店になりましたら。
忘れません。
何より嬉しかったのは、
MASATOさんが元気になってくれたことです。
それでしかない、それだけだと芯を貫く。
もしも失敗してもだからなんだ。
生きるってはこんなに熱いんだよ。
心を震わせていました。
それが後に、という展開にはなるのは少し先で。
紆余曲折ありすぎたこの頃。
全ての行動に没頭しかありませんでした。
自分はいまもそんな感じではありますが、
世の中は皆が大人になっていきます。
どこまでも貫いて大気圏を越えていきたい。
誰がなんて言ってても気にもせず、
仲間たちが楽しい、明日をもっと楽しく。
今日ここまで。
前編とでも言いましょうか。
どれだけ大雑把に進めれるかで端折りまくってますが、
記録が全般的にちゃんとあってしまうので、
それはそれで脱線すると危険ですね。
ずっと違う話にならないように。
続くきますっ!
って散々ラーメンの事を考えて、
いつもの感じ続きます。
そんな一昨昨日。
12/5(金)。
この日まで面談な日々。
毎日スタッフFUKUTANIにお願いして、
お店は開けていましたが、
どうやらここは杞憂だったようです。

とっても寒くなりましたが、
全くと言っていいほど何かの流れはなく、
去年も同じ空気でしたのでその意味では変わらない。
悪くはなるが良くはならない。
だからやる意味がある、か。

というのをちゃんと確認できました。
と、いうどうしたもんだか、
ってあれこれを片付けてたら、
試験帰りのSASAHARAが遊びに来てくれて、

なるほどそういうチェックもあるのね。
って予約とかしにきてくれて(もうすぐWeb開始)。
話したりの金曜日。
ちょっとが間に合わず、
眠すぎて困りつつ、
最低限のところまでで終了です。
慌てて帰宅。
家族に会えた夜。
翌日の色々に緊張しながらこの日もペシペシ夜更かし。
ある程度の時間に就寝。
新しいルーチンを続けます。
そんなこんなで。
それではこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日は月曜日。
頑張ります。更新。。。






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