もうすぐ夏の休日日記①と6月のふく割。

おはようございます。

6月の真昼間、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

今月、6月のふく割のスケジュールが届きましたのでお伝え。

うちですと上記3つが使えます。

まずは明日からプチふく×ふく割が配布開始ですね。

 

加えてこっちが今日まで配布で明日まで利用可能。


うちで使えるクーポンは3種類、下記が発行日は毎日10時+使用期限です。
★ふく×ふく割→発行日5/27(金)~6/2(木)23時59分。(使用期間取得日から約2日)
宜しくお願い致します。
『※ふく割プレミアム・しょうきぼ割プレミアムについてはこちらで。』

という事でどうぞご利用くださいね。

 

 

さてさて、

しばらく予定があったのですが、

今日からちょっと自分は時間がある感じです。

毎年何か学ぼうとか考える季節です。

 

というのは例年の形で、

今年の6月は沢山変化をしたいと思っています。

取り合えずチャレンジと言う事で。

 

きっかけもいっぱいあったし。

どうあれマイペースで。

改めて今月もお願い致します。

 

そんな一昨昨日。

5/30(月)。

この日は朝から遠出の予定。

 

いつものこの場所に休みなのに開けてもらう。

無理を聞いてもらって感謝です。

 

も、間に合うように北陸道に乗る。

ここで時間を調べるといつもより+30分の表示。

なんだこれ…って走ってみるとずっと工事工事の連続。

 

4/5が一車線で久しぶりにあんまに不便な北陸道でした。

どうあれリサーチ不足で遅れる事になって本当申し訳ない。

というせっかくの時にはちゃんとしたい、という当たり前。

 

グーグルマップは渋滞にもすごく正確。

そして遅れて到着。

お世話になりました。

 

記録が趣味みたいなもんです。

という同じことをしてあげたくて。

ってお昼に終了、完成を楽しみにしています。

 

 

んで母親を迎えに地元へ。

地元のうどんがお昼ごはん。

暑い日でもなべ焼き。

お腹いっぱい食べて。

 

夢中で食べる息子。

箸を使えるようになりました。

 

そして移動。

また少し遠くへ。

到着。

 

この日は4人で温泉へ。

 

思った以上の硫黄と塩の匂い。

これも経験。

息子が主役のこの日。

ご飯も良い感じでした。

大喜び。

和服が似合う系。

金太郎。

 

はしゃぎにはしゃいで、

ぐっすりの金太郎でした。

 

館内を歩くのも、

特別なお風呂も、

経験をさせてあげたい、みたいな。

 

 

最近、ざっくりの内容ばかりなので、

たまには小難しい内容を話してみようかなと。

 

なんで経験をさせてあげたいのか、

と考えると、それは単にきっかけになってほしい。

だけです。

 

なんのきっかけか、と考えると、

示唆に富むと感じ、好きを見つけてほしい。

 

資格は未来を狭めるためではなく、

好きな事を実現するための切符。

 

この感覚が逆な事ばかりを目にします。

資格に縛られてしまい、したいことが見つからない。

見つけてもできない、というエゴという鎖、強要。

 

させたい、という思考は可能性を奪う。

したい、という思考は可能性を見出す。

 

子供は親が言うようにはしないが、

親がするようにする。

 

昨日、NISHIくんと話して改めて考える、

決めつけという勝手な思い込みの強制。

こうあるべき、を思うは自由、伝えるも自由、ただ否定の材料にするのは違う。

 

なぜ決めつけはよくないのか?それは一元論でしかないから。

なぜ一元論ではよくないのか?自分以外を思いやれないから。

なぜ思いやれないとよくないのか?周りが幸せにならないから。

なぜ周りが幸せにならないとよくないのか?自分が幸せと感じられないから。

なぜ幸せを感じないとよくないのか?生きているから。

 

という順番だとこんな感じですか。

ポジティブサイコロジーとかベリーハッピーピープルとか、

長く続く人が生きた歴史の中の「これかもしれない」の話で。

 

とはいえ、唯一無二でもなければ絶対解でもない。

最適解かどうかすら怪しいかもしれません。

ただ、そういう考え方がちゃんと世の中にはある。

 

一方的な強要からは教養も共用も感じられません。

相手がどう思うか、とかが目線として持てない。

厳しく言えば人のためという前に自分のために考えた方がいい。

 

ものを伝えるときは決めつけない。

決めつけない事も決めつけない。

全ては自由で、決めつけの先にあるのは可能性の搾取。

 

誰が為に鐘は鳴る。

言葉の意味が分かるかどうか、ですが、

狭い目線の決めつけばかりに陥らない様にただ相手を想う。

 

お茶を飲んで目を覚まし、

いまを味わって生きる。

それ以外、何かすることがあるだろうか。

 

というまた訳が分からない禅話になったところで、

知ると分かるは違う、という先にある無分別を求め、

またブツブツ言ってるわけです。

 

無意味な決めつけ、無関係な区別に、

反応してしまう時、いま自分が考えてる事の割合が少し見える。

ただそれだけの事、「それ」が分かる「だけ」。

 

という急に抽象度上がってしまいましてすみません。

この手の話が好きな人はお店で話しましょう。

お茶でも飲みながら。

 

梵我一如の一元論と、上記の一元論の違いは何か。

その違いを言語化する意味は何か。

 

意味がないものに分別が生まれるこの社会の先にある、

「それ」を探してるという、

超どうでもいい話でした、本当すみません。

 

ちょっと掘りだすと危ないですね、

本当変な話ですみません。

 

こういう事ばっかり考えてる、

時事の話に全く反応しなくなりました。

行動がない感想とかどうでもよくなって。

 

という感じで、

たまにこういう内容ですみません。

変な中年です。

 

そんなこんなで。

それではこの辺で。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

今日は木曜日。

頑張ります。更新。。。

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