砺波ばあちゃん。

尊敬する人。

大切にしている人。

誰もがいると思います。

 

自分は、ばあちゃんを尊敬しています。

ってか大好きです。

なんでって、ブレないからです。

 

ばあちゃんは街の紙屋さんでした。

110年もお店を営み、守ってきました。

 

今の時代、大きなお店やネットがあるので、

昔、聞いたことがあります。

「大変じゃない?紙ってさ?」

 

そんな当たり前の質問に、

ばあちゃんはいつも真剣に言ってくれました。

 

「困る、というのはいつも急なとき、

あのお店に行けば紙の事は大丈夫。

そう思ってくれる人が一人でもいる限り、お店はなくちゃダメ。

 

困ってる人を助けることができる人になりなさい。

その想いは必ず伝わるから。

きっと沢山の幸せを生み、やがて囲まれる」

 

この言葉がまだ若い時は分からなかったのですが、

年々それが分かるようになってきました。

 

 

 

30も過ぎたころ悩んだことがありました。

 

「自分のためだけに生きることが難しくなってきた、

これからすべき事に悩んでいる。

社会に何かできないかと毎日考えてる」って相談をよくしました。

 

これは最近の病院のベッドでも。

思えば自分の事をこんなにも話したかと思い返す。

仕事の悩みとかもいっぱいした。

 

 

 

ばあちゃんは、

 

「目の前の、近くの人を幸せにできない人が、

社会のために何もできるわけがないから、

まずは周りの人に感謝をし、幸せにする努力をしなさい」

 

少しキレイに言い過ぎかもしれませんが、

自分の胸にはこう響いています。

いつもいつも心配してくれてました。

 

どうけ?大丈夫け?

何度聞いたかな。

 

 

 

2017/12/31。

19時18分。

ばあちゃんが永眠しました。

 

初孫の自分をこれでもかと可愛がってくれた、

砺波のじいちゃんとばあちゃん。

 

じいちゃんの事を大好きだったばあちゃんは、

きっとじいちゃんと仲良く一緒にいることでしょう。

 

賢く、真摯で、それでかつ男気のあるじいちゃんは、

家業という事と向き合い紙屋を営むということを、

若くして決め、ばあちゃんと切り盛りしていました。

 

 

じいちゃんが亡くなったときは自分が22歳の時。

あの時の事は忘れもしませんが、

自分の精神面を大きくしてくれた事を今でも感謝しています。

 

働きについて学びました。忘れもしません。

これでもかと手伝う事に没頭していました。

あの時の経験は大きな自信になっています。

 

そしてそれから、ばあちゃんは、

長男の奥さんと二人でお店を切り盛りし、

16年変わらず輝いていました。

 

この環境を作れたことは人徳と人柄。

真っ直ぐな考え方の先にあったものだと、

強く感じます。

 

「家業」という言葉の重みを教えてくれたのもばあちゃんです。

若い時からずっと伝えられました。

 

家と言うのは。

 

長男とは何たるか。

その点は厳しかったと思っています。

色々と学びました。

 

自分の基本は母親の考え方に影響を受けています。

そんな母親を育て上げた人、根本にある人。

そんな砺波ばあちゃん。

 

 

 

 

 

今年の大晦日は家に帰ろう。

母さんと一緒に年を越そう。

 

そう決めていたのは結婚した時。

 

約束を守るべく、年末年始は実家へ。

この日、不思議な事に家族が全員集まる。

 

特に自分は大晦日に家にいるのは、

実に20年ぶりです。

 

他の県外からもなぜかタイミングが重なって、

年越しは近くにいるとの事。

 

こんだけ東京やらいろんなとこからなんて、

偶然は重なるもんだね。

 

「きっとみんなで年越して挨拶にいったら、

婆ちゃん喜ぶね」って思ってた数か月前。

 

あれは11月になったばかりの時。

ばあちゃんが入院すると聞いた。

 

突然の知らせ。

病状はよくないらしい。

そんなのすぐには受け止めれず。

 

すぐに休みの日にお見舞いへ。

思ったよりも元気そうで一安心。

しゃべり倒すのはいつもの事。

 

本当に何も食べれないの?飲めないの?

と疑っていました。

今の時代、点滴もきっとすごいよね。

 

毎週行けたら行こう、

でも不自然に行きすぎるのもダメだし。

 

と思いながら、実家に帰るついでとか、

映画観に金沢まで来たから、とか。

本当は目的は逆なのに何度も。

 

高速をぶっ飛ばして行きました。

 

来週もくるね、って言ったら、

「次は正月待ってるよ、雪降ってるしね」

って言ってくれたのが12月中旬。

 

あの時は本当に元気だった。

お見舞いへ行くたびに元気になっていったばあちゃん。

 

これは5月まで大丈夫じゃないか。

ひ孫見せれるかな。見せたいな。

 

そう思っていた、

12/27日に病状が悪化。

 

毎日毎晩母親に現状を聞き、

相当心にダメージを受ける。

 

しかしながら年末、休む間もなく日々が過ぎる。

しっかりしなきゃ、正月までもう少し。

 

無事に仕事を納めて、

12/31に妻と病院に到着は14時30分。

 

この時には少し前から変わってしまった姿に、

ショックを隠せませんでしたが一緒に沢山言葉を伝えて。

 

手は反応しない、って聞いたけど、

自分の言葉にはいっぱい握り返してくれました。

 

それしか出来ない。

ずっといたい、けどいても何もできないもどかしさ。

まだ帰ってなかったので一旦実家へ。

 

母親は疲れてはいるものの元気。

前日はばあちゃんとこに泊まった。

と聞いてうらやましく思う。

 

弟夫婦とも会って、

すぐに電話が鳴りました。

 

急変した、との連絡。

 

間髪入れずに「行くよ」と出発。

 

じいちゃんの時に最後に立ちあえなかった母親の姿が、

目に焼き付いてる、これは意地でも間に合わせる、と

もしかしたらもしかしたのでぶっ飛ばして30分で到着。

 

普段は50分かかるけど、

電話よ鳴るな、ばあちゃん頑張れ、

待ってろよ、と願うばかり。

 

途中で降りて走ってもらい間に合った。

というか落ち着いていた。

 

婆ちゃんはそのあと安定。

あれほど胸を撫でおろしたことはなかった。

 

そこで親戚一同が揃いました。

こんなことがあるのか…という状況。

 

この日このタイミングで全員が揃うなんて、

一人も欠けず、偶然なんて、

こんな奇跡みたいなものことがあるのか。

 

自分がもしも息を引き取る事があったら…

こんなことないでしょ、嘘でしょ。

 

こんな奇跡を起こすばあちゃん、

何と言っていいか。

 

もう一つ、きっと奇跡を起こして、

回復してくれる、と家族は全員願ってました。

 

心拍は上がるものの、

声が全部聞こえてました。

一生懸命しゃべってくれました。

 

声は出てませんが、伝わる。

きっと自分にはいつも言ってくれてた、

「頑張るんやよ」って言ってる

 

昔話に大きく花が咲き、

それに反応して婆ちゃんはいっぱい話したそうでした。

全部が聞こえてる、皆の声が届いてる。

 

一人残らず。

全部ばあちゃんとの思い出話。

 

体は辛いのかもしれませんが、

その伝わっている事実は、

自分にはとても嬉しかった。

 

先週こればよかった、きていっぱい伝えればよかった、

と悩んでいた自分を救うように。

言葉を伝えれた。

 

 

19時。

安定していたので沢山の子供たちが、

ご飯を食べた方がいい、と部屋から出てすぐ。

 

容体が急変。

 

それから数分後。

 

15人全員が叫び。

ぐしゃぐしゃに泣き。

大きな愛の中、ばあちゃんは旅立ちました。

 

生まれてきたときは笑い。

亡くなるときは泣いてもらう人生。

 

まさにこれ以上ない最後でした。

かっこいいなんて言葉は良くないかもしれませんが、

こんな事が起こるものかと驚くほどの奇跡が重なる夜。

 

こんなに最後の最後まで頑張ってかっこよかった人。

自分は見たことありません。

生き方とはこんなにも様々な事を動かすのかと。

 

沢山の事を感じました。

しばらく泣きすぎて立てませんでしたが、

少しづつ少しづつ今日、受け止めています。

 

 

 

2017年の自分の大きなことに全部呼んだ。

「ばあちゃんが来ないなら結婚式中止にするから」

って足が悪いのに激を飛ばしてごめんね。

 

それくらい来てくれないと嫌だ、

というか来ないなんて考えられない。

 

「いつも(初孫の)自分の事となると驚くほど元気になる」、

と皆が不思議がっていた。

その言葉と事実が、どれだけ自分を強くしてくれたことか。

 

弱くなりそうなときも、

「ばあちゃんに見せたいし、来てくれるし」、

妥協は一切できないな、よし頑張ろう。ってね。

 

自分を確実に良いものにしてくれる存在。

それはこれからもきっと見てくれてる思っています。

自分に働きが起こるのは寧ろこれからです。

 

 

結婚式に呼べた。

家も見せれた(ももさんにも合わせられた)。

子供の報告もできた。

 

心から良かった。

 

行くたびに成長の写真を見せて、

「おーおー」と喜んでくれたのは、

本当に大事で嬉しく、泣いてしまいそうな時間。

 

これ以上なんてわがままかもしれませんが、

もう少しもう少しと今日もいっぱい考えてしまいます。

 

一番すごい最期だったと。

これ以上なかったと。

待っててくれた、自分自身でこの日に。

 

84歳の酉年。

 

自身の干支の大晦日に、

家族全員に囲まれて見守られ、

逝去しました。

 

何度も言いますが、

こんなことあるのか、って感じてます。

 

去年2017年はそんなことばっかりでしたが、

偶然って凄いですね。

 

 

美意識が高く、いつもちゃんとしてた、

凛とした砺波ばあちゃん。

若い時なんて女優さんみたいだね。

最後まで輝いていたよ。

 

本当に世話になったね、尊敬してます。

大好きです。

ばあちゃん、ありがとう。

 

自分の生きる誇りです。

 

 

 

 

 

1/3(水)。

お通夜。

現実と向き合う時間。

 

ばあちゃんと家族一同式場に宿泊。

 

落ち込んでいる自分のところに、

スタッフが福井から駆けつけてくれる。

こちらは大雪でその中を走って。

 

今回、

日にちも特殊だったのであんまり言えてなかったのですが、

こうやって来てくれるだけで嬉しいもの。

 

自分はいつも、

「故人は当たり前として、近しい人が、

どう感じているか、それが自分にとって一番大事なこと」。

 

そう常日頃言っています。

一度会った人に不幸があった(ことを知った)際には、

必ず参列します。

 

近しい人が悲しんでるときも必ず行きます。

参列の確認をするため遠慮されることもありますが、

気持ちはいつもその姿勢です。

 

気は心。

そういうことを損得なくできる人間が同じチームにいる。

嬉しく思う。感謝です。

 

 

 

 

 

1/4(木)。

正月と悲しみの上下で心が乱れる。

こんな心情のアップダウンを経験した事がない。

 

想像を絶する5日間を経て、

葬儀も無事に終え、送ることが出来ました。

 

写真も本当に沢山ありました。

沢山の人に愛されてるのが分かるのがいっぱい。

 

途中辛すぎて気持ち悪くなってしまいましたが。

 

 

最後の最後まで、

涙と、愛に見守られてました。

 

 

喪主の二人の頑張りを隣で見せてもらいました。

それはそれは強さがないと出来ない。

初七日、法要後の会食まで凛とした二人。

 

きっとばあちゃんはこれ以上なく安心して、

旅立って行ったと確信しています。

 

 

 

そんな思いを綴らせてもらいました。

いつもすみません。

 

この一年くらい、

こういう文章が多いですね…

読んでいただいて感謝します。

 

どういう経緯でこんな奇跡みたいなことが起こるのかは、

分からないのですが、

全ては日頃の行いだと信じています。

 

 

最後に見送れたのは初めての事。

 

 

 

年末年始、大きな別れと共に、

ばあちゃんに大きな愛を教わりました。

また一つ教えてもらいました。

 

いつまでも教えてもらっています。

何度言っても足りないけど、ありがとう。

 

家族みんなとも会えた。

仲良くなれた。

これからは学んだ愛を誰かに伝えていきます。

 

 

 

 

そんなこんなで。

それではこの辺で。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

今日は土曜日。

世間は3連休ですね。

 

どうぞお時間がある方は遊びに来ちゃって下さいね。

 

今日もしっかり前を向いて。

頑張ります。更新。。。

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